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武将たちの死因(2023/03/01) 著名な武将たちの死因を医師の立場から、推察してみました。 まず平清盛、突然に戦慄とともに高熱を発し、七転八倒の苦しみを訴えた。比叡山源流の冷水をかけてもたちまち湯気となって、部屋中を覆い前が見えなくなるほどだったという。それでも、「自分はもうダメだが、兵を出し頼朝を討て」と、遺言したらしい。これは、高熱があっても意識障害、言語障害はひどくなく、肺炎等ではない。咳嗽や腹痛も記載なく、肺炎や赤痢等でもなく、毒を盛られた様子もなし。数日後に死亡。享年66歳。マラリアだろうと思われる。実はこの頃、小流行があったらしい。 その頼朝は、1198年12月27日、架橋の式典帰りに落馬し、翌1月13日に死亡。享年53歳。鎌倉幕府の正史然とした日記風の吾妻鏡では、その前後の記録が欠落しているために暗殺説、馬の暴れ、脳卒中等、種々のことがいわれている。頼朝は、飲水病(今の糖尿病)という大量の水を飲む病気があったという。この合併症のため、脳虚血を起こし、そのため落馬したものらしい(現在の車でもよくある)。 さて、その頼朝を尊敬していた家康は、よく知られているが、鯛の天ぷらを食し、その後、不調となり2か月後に死亡。享年75歳。だが、このこと以前より、体重減少、黒色便等があったらしく、天ぷらは単なるきっかけにすぎず、おそらく胃がんだろうといわれている。以上、伝聞、憶測を含む話です。
山下内科医院 山下 正樹 |
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